6Q
今日は6QというUP Linkで開催されたイベントをダイキさんにお誘いいただいて見学してきました。
部分的にフォローできていないとは思うのですが、個人的には特に論文が面白かった。

ダイキさん。法規制等の制約によって無意識に作られた都市を「形式的な情報(意識的な知識)」まで引っ張り上げて表現しようという試みは自分の興味とも通じる部分があり、大変興味深かった。

林。フラーの表層的な受容という捉え方は似てればOKなのか?何を似ているとするのか?というゲストの方からの意見もありましたが、「表層的受容が多様性を生み出した」という点では「何になるか」という視点では最も可能性を感じた発表。

服部。PPTのプレゼンも、しゃべりも分かりやすい。妹島和世という取っつきやすいテーマであることもあり、色々と共感して聞くことができた。知的好奇心をそそられた。


第二部ではゲストの方を交えたディスカッションだったのですが、僕は「何とも言えない閉塞感」を感じました。ゲストの先生の方からは「身体性の欠如」つまり、自己の存在を前面に出して語ったほうが良いんじゃないかという意見が出されていましたが、その視点はやはり作家さんの視点という気がしてならず、僕が感じた閉塞感の本質は「入り口もなければ、出口もない」という事への違和感でした。

つまり、論文あるいは制作が「建築のユーザーに求められている理由がどうあるのか」という位置づけの欠如と、その論文あるいは制作が更に展開していったとしたら「何が良くなるのか。そして、さらに言えば、建築のユーザーにどのような便益があるのか」という展望の欠如である。

第三部で佐々木新さんとお話させていただいていたときに「ロールモデルの欠如」「建築がどうなるか」というような言葉をおっしゃっていた。修士論文や修士制作レベルでそれは難しいと思うけれども、共感する部分は多々あって、僕の言い方をすると「技術のデスバレー」に飲み込まれる例を目の当たりにしているように思えて仕方がなかったというのがある。

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技術のデスバレー: 研究戦略、技術経営、プロジェクトマネジメント等において、研究開発が、次の段階に発展しない状況やその難関・障壁となっている事柄全般を指す用語である。具体的には、基礎研究が応用研究に、また、研究開発の結果が事業化に活かせない状況あるいはその難関・障壁を指す用語である(wikipediaより)

未来の建築を見せるのは難しすぎるけど、それによって設計者なら設計者として何がちょっとでも変わるのかという視点を提示して欲しいなと思った。どれも素晴らしいので、無い物ねだりかもしれないけど。

やはり「ほしいものが、ほしい」の時代は終わったのだと痛感した。「何が必要か」「何をすべきか」を言える人が求められている。。。
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by machine1984 | 2010-02-24 02:28 | 建築
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渡辺典文 / Norifumi Watanabe The University of Tokyo Graduate School of Engineer Architectural Department Master Course
by machine1984
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