カテゴリ:建築( 47 )
6Q
今日は6QというUP Linkで開催されたイベントをダイキさんにお誘いいただいて見学してきました。
部分的にフォローできていないとは思うのですが、個人的には特に論文が面白かった。

ダイキさん。法規制等の制約によって無意識に作られた都市を「形式的な情報(意識的な知識)」まで引っ張り上げて表現しようという試みは自分の興味とも通じる部分があり、大変興味深かった。

林。フラーの表層的な受容という捉え方は似てればOKなのか?何を似ているとするのか?というゲストの方からの意見もありましたが、「表層的受容が多様性を生み出した」という点では「何になるか」という視点では最も可能性を感じた発表。

服部。PPTのプレゼンも、しゃべりも分かりやすい。妹島和世という取っつきやすいテーマであることもあり、色々と共感して聞くことができた。知的好奇心をそそられた。


第二部ではゲストの方を交えたディスカッションだったのですが、僕は「何とも言えない閉塞感」を感じました。ゲストの先生の方からは「身体性の欠如」つまり、自己の存在を前面に出して語ったほうが良いんじゃないかという意見が出されていましたが、その視点はやはり作家さんの視点という気がしてならず、僕が感じた閉塞感の本質は「入り口もなければ、出口もない」という事への違和感でした。

つまり、論文あるいは制作が「建築のユーザーに求められている理由がどうあるのか」という位置づけの欠如と、その論文あるいは制作が更に展開していったとしたら「何が良くなるのか。そして、さらに言えば、建築のユーザーにどのような便益があるのか」という展望の欠如である。

第三部で佐々木新さんとお話させていただいていたときに「ロールモデルの欠如」「建築がどうなるか」というような言葉をおっしゃっていた。修士論文や修士制作レベルでそれは難しいと思うけれども、共感する部分は多々あって、僕の言い方をすると「技術のデスバレー」に飲み込まれる例を目の当たりにしているように思えて仕方がなかったというのがある。

e0126140_228624.gif
技術のデスバレー: 研究戦略、技術経営、プロジェクトマネジメント等において、研究開発が、次の段階に発展しない状況やその難関・障壁となっている事柄全般を指す用語である。具体的には、基礎研究が応用研究に、また、研究開発の結果が事業化に活かせない状況あるいはその難関・障壁を指す用語である(wikipediaより)

未来の建築を見せるのは難しすぎるけど、それによって設計者なら設計者として何がちょっとでも変わるのかという視点を提示して欲しいなと思った。どれも素晴らしいので、無い物ねだりかもしれないけど。

やはり「ほしいものが、ほしい」の時代は終わったのだと痛感した。「何が必要か」「何をすべきか」を言える人が求められている。。。
[PR]
by machine1984 | 2010-02-24 02:28 | 建築
雑記 
少しブログを書く癖を再開しようと思っている今日この頃。
しかし、修論提出まで既に残り3週間を切っている。

共創の為の空間構成に関する基礎的研究
ー 建築設計組織のオフィスの作られ方と使われ方について ー

というタイトルで書いています。
分野としては「ワークプレイス」という研究分野の中に位置して、オフィスの観察調査・分析をもとに空間の設え方などについて提案をしたりしています。
詳しい内容に関しては今は、書いている時間もないのでまた機会を改めて内容については紹介することにします。

11月は体調不良から気分も悪い時期が続いていて、とある修論発表会のお誘いを断ってしまったのが今となっては残念ですが、自分が一年間興味を持ってやってきたことが色々と構造化できている気がします。
3年目にしてやっと「サービスプロバイダー」というこの時代に建築に携わる人が考えなければいけないテーマに対して知見から理解に変わったと言えると思います。

年々「間に合わない病」が激しさを増しているので、少しは時間に余裕を持って終わらせる計画を立てないと・・・。
[PR]
by machine1984 | 2010-01-13 00:08 | 建築
ニッチ・王道議論
「ビジネスや提案はニッチでも良いかもしれないが、研究は王道でなければならない。」
悩ましく解決しがたい問題。

俺がやらなくても誰かやるよなと思ってしまい、「誰が見ても正しそうな問題設定」というのを今まで避け、如何に面白いアイデアを出すかというようなやり方をしてきたら、当たり前の事が当たり前にできなくなっているという事を自覚した、ここ数ヶ月。

失敗して失敗して頭を働かせるのが僕の常なので、良い経験だなぁと思って毎日過ごしていますが、「まともな問題設定をまともに立てられない」「当たり前のことが当たり前に出来ない」という問題に直面しています。
でも、実際にはこういった当たり前の事の射程はとても長いはずなのです。
きっと。

結構、どんな内容でも論文って書けそうだなぁと思いつつも、ニッチ・王道議論が僕の脳裏を離れず、そして、「根底の問題意識は何か、持論のある論文を書きなさい」という助手の方のお告げや、「将来の自分を想像して、そこに繋がるような論文を書きなさい」という研究員の方のお告げや、「結局は本当に興味のあることしか頑張れない」という甘ちゃんな自分と戦っている今日この頃。

まだまだ先は長い・・・。

「当たり前の事を深く深く突き詰めていくと、思ったよりも遠くに行けるのだ」という神のお告げを信じて頑張ろう。
[PR]
by machine1984 | 2009-09-18 00:46 | 建築
現代におけるヴァナキュラー建築
最近、後輩が紹介してくれた抜群に面白い本がある。
パーソナルメディア社の「2000年から3000年まで 31世紀からふり返る未来の歴史」
という本である。
これは筆者が31世紀にいるという仮定の下で2000年から3000年までの1000年間の歴史をふり返るという面白すぎるコンセプトによって書かれた本だ。

21世紀末に大地震で本州が二つに割れて一年余り大地震が起こり続けて日本が崩壊するというような話もあったり、26世紀に若返りの薬を使った日本人研究者が177歳まで生きたりするのだけれども、建築の話も面白い。

21世紀末にアメリカ人研究者のレオン・ガンツの開発した工法で、ガンツのセメンテーション工法と呼ばれている。
e0126140_1953722.jpg
*1
基本的にはガンツ工法は有機「接着剤」をこしらえる遺伝子工学処理したバクテリアの使用を含んでおり、この「接着剤」が粒子(普通は砂だが、土や粉末、スラグでもよい)を凝集させるのである。
バクテリアは普通現場でセットされ、最終的な固まりの形状を制御する為に鋳型が用いられた。バクテリアを慎重に選択し、制御することによって、できあがった構造物の性質を様々に変えることができた。煉瓦やブロックを作ることができたし、壁面や床全体を作ることも出来た。頭の良い建築家はまもなく、家全体をほぼ一つのつながった固まりとして建てる工法を考案した。
e0126140_1954391.jpg
*1
時を経るにつれて、この主の工法の周囲の環境との適応性が高まり、大型ブルドーザーを持った一団が、あらゆる環境に入り込み、どんな材料からでもビルディングを建て始めることができるようになった。

21世紀の中頃になると、豊かな国々は「完全に統制された」住宅システムを重視するようになった。それはつまり、生きた人体に循環系があるのと同じようにガンツ工法の壁の中に生きた構造を作りつけるのである。
これによって、家庭に水を送り、汚水を処理するために用いるタンクや水槽はずっと減らすことができるようになった。
2160年以降の洗練された建物は全て「活性的」水処理システムを備えていた。これによって建物は周囲の環境水—しばしば地中深くへ「主幹」を伸ばして—を吸い上げて貯えることが出来た。これは建築における第二の革命といえるもので、遺伝子工学処理した微生物を利用して直接に構造物の供給に適用できるようにすることで、いわば有機的な生きた「設備」を含む家を造るというのではなく、全体が一つの統合された「生物のような」家をつくることであった。

23〜24世紀の生物学の進歩は月にもう一つの避けられないインパクトを与えた。嫌気性の「反ガンツ」微生物—実際には一群の微生物たち—がオーストラリアで2330年代に作り出された。それはほんのわずかな水を与えられさえすれば、月の岩石を分解して砕けやすい疑似土壌にしてしまうのだった。この疑似土壌は、「再ガンツ化」して建物を建てる材料にすることもできれば—これこそ本当に月の現地産の建物だ—肥料をまぜてガラスのドームの下で作物を育てるのに使うことも出来た。

*1

もちろん、これはSFの世界なのだけれども、ここには面白い示唆がある。

将来的に化石燃料は大変高価になっていく。
それは、単に石油などの埋蔵量が減るだけではなくて、現在採掘しているのは、最も採掘しやすい場所であって、将来的には採掘するために深く掘ったり、不純物の多い石油を精錬したりする必要が出てくるわけである。採掘コスト自体が高くつくようになり、化石燃料はとても貴重なものになる。
一方で、希望的観測をすれば技術は進化を続けていく。ただし、どのような勾配を描くのかは謎であるが。
更に長期的に見れば、先進国と新興国の経済格差は縮まっていくことが予想される。
(最貧国との格差は分からないけれども)

そう考えてみると、遠隔地へ、地球の裏側、ましては地球から月面まで原材料を運ぶなんて、本当に技術があれば単なるエネルギーの無駄づかいでしかない。

遠い未来を考えてみると、出来る限り近場で資源を調達する方が環境負荷だけではなく、経済的側面からも合理的になるのだ。
もちろん、その為には現場の技術が伝えられている必要があり、その辺りにも議論のポイントが更に眠っているような気がする。

こう未来を見てみると、今の建築の作られ方はどれだけ理にかなっているのだろうかという疑問が沸々とわいてくるわけだ。隣の山にあれだけ木が沢山生えているのにも関わらず、建材は北米産のパイン材や集成材、構造用合板であったりするわけだ。

ガンツ工法は建築人の範疇ではないにしても、現代の技術があって、現代の物流がある中で環境付加的・経済的にはどの辺りに環境的バランスポイントがあるのかを計算してみると、そこから随分と色々な事が言えるかもしれない。

本当に技術が進歩し、経済格差がなくなってくると、建築がヴァナキュラーになるという逆転現象はかなり面白い。しかし、昔のヴァナキュラー建築と未来のヴァナキュラー建築には決定的に埋められない溝などが出来ている(はず)。

これはまるで、デジタルが究極的に進化していくと、アナログに限りなく近づいていくが、決して同化することはないという話のようだ。

*1 パーソナルメディア社「2000年から3000年まで 31世紀からふり返る未来の歴史」
[PR]
by machine1984 | 2009-08-09 20:02 | 建築
殻の設計と臍の緒の設計
結局、フラーの実践は静的なものであった。
Sustainabilityの観点から大量生産を視野に入れ、地球所で鉄に次いで二番目の埋蔵量を誇り、加工精度の高いアルミニウムを原材料として用い、37000戸もの受注を取り付けていた。全てをトラックで輸送できるようにキット化して、大きな部材は何一つないという作られ方になっていた。
なるほど、宇宙船みたいな見た目は・・・。だけれども、フラーの実践にはこういった裏付けがきちんと存在していたのだ。

フラーの実践に関しては突っ込みどころが満載である。
実際には、計算してみないと分からないけれども、まあ恐らく理にかなっていないだろうということも予測できる。ボーキサイトを精錬するのには莫大な電力が必要であるというのは周知の通りである。その割にはダイマキシオンハウスが解体されてどうなるかについての考えが流布されていない。それに、地球を一つのモノとして見過ぎている。赤道と南極で同じ建築を建てようなんて、それがサステイナブルには到底思えない。大量生産であることを考慮に入れても、ロスが大きい。

などと批判してみたところで、少しでもサステイナビリティの理想をもって1960年代から実践を行っている時点で尊敬に値する。藤森先生が言う1%の本当のサステイナブル建築にこれは入っていて良いはずである。

こういった実践的な提案が次の時代に繋がっていくのだ。
現実的に理にかなっていたユニットバスなどは既に僕たちの生活になくてはならないものになっているわけだから。。。


その時々、時代を代表するような住宅の理想型のようなものがある。
スミッソン夫妻の「未来の家」を僕はとてもかっこいいと思ったし、レイナー・バンハムのEnvironmental BubbleもM1の時の発表で地味に使っていたりする。
(ただ、中々原書を読む機会がなく正確な意味を未だに知らないのだけど・・・)
e0126140_17295366.jpg
*1
「2010年未来の家」は果たしてどのように描けるのだろうかと思ったりもするが、住宅の理想的な形というのはもはや実体のある建築ではないのではないかと思う。

e0126140_17351684.jpg
*2

住宅は生活を内包するものであると考えられていたが、生活は衣食住から成り立つという前提に立ったときにもはや、住=住宅が衣に取り込まれてしまった在り方とも言えるかも知れない。。

やはりダイマキシオンハウスやEnvironmental Bubbleに対して決定的に共感できない点というのは、周辺環境から独立しているという点で、本当にサステイナブルであるならば、その殻を透明にしてしまえば良いのではないかというのが考えだ。

Realities:Unitedのこの絵が僕には未来の住宅のふさわしい在り方を表象しているように見えた。
SFの世界の話だけれども、自分の身体の環境調整を完璧に行ってくれるベルトを腕に巻いて、後は家を空け広げて暮らすという話である。
Environmental Bubbleから一歩進んだ考えという意味ではとても示唆的だなと実は思っている。


直接話が繋がるかは不明だけど、現状でエネルギーとか持続可能性とかそういった住宅の理想的な状態を表している建築は地面との関わり合いの程度が極端に大きいか小さいかのいずれかであるというのがとても面白い。
e0126140_1734045.jpg

この両方の行き着く先が先ほどの絵であるというのが今回の話なのだけれども、結局、これらの建築が何を表しているのかというと、殻を設計しているものと臍の緒を設計しているものの違いではないかと思ったわけだ。
e0126140_17301722.jpg
気象環境に配慮したPassive Solarであることはもちろんのこと、エネルギー・物流など、建築に関わる様々な周辺環境が総じてManageableな建築というのが臍の緒の設計。

持続可能性を議論するのであれば、殻に比べて弱い臍の緒について考えるという感覚も現代的で面白そうだ。

*1鹿島出版会 環境としての建築―建築デザインと環境技術
*2 http://www.artcenter.edu/openhouse/index.html
[PR]
by machine1984 | 2009-08-09 20:01 | 建築
静的な地球/動的な地球
バックミンスター・フラーの話の続きから。
フラーの思想は本当に共感するところが多い。
何より地球環境に対して警鐘をならしてはいるものの、その将来に関してはとても前向きなところが良い。

本書「宇宙船地球号操縦マニュアル」は人類が直面している様々な問題を包括的に捉え、デザイン・サイエンスの観点からその解決方向を前向きに提示した、フラーのマニフェストだった。地球は一つの宇宙船である。この地球には資源もエネルギーも充分すぎるほど存在する。ただ使い方が悪いのだ(利用デザインの問題)。より少ないもので、より多くのことをなす技術を用いれば、欠乏などということはまやかしに過ぎないということが分かるのだ。考え方を変えるのだ。思考の限界を打ち破るのだ。グローバルに考えよ、グローバルに考えよ。 *1

フラーは地球を閉鎖系として捉えた、マルサス・ダーウィンの古典熱力学的姿勢をこそ批判しているのだ。フラーはまさに地球が開放定常系であることに注目した哲学者であった。またそれ故、彼の宇宙船のイメージは極めて有機的なものである。もっとも、確かに宇宙船地球号というネーミングには乗りものの意識がある。 *1

デザイン・サイエンス革命を提案して以来、フラーは同じことを言い続けてきた。この惑星上の資源は絶対的に不足している、フリーなエネルギーは消費される一方だ、みんなに行き渡るほどの充分な資源やエネルギーはない、生き残れるのは適者のみだ、こんなマルサス・ダーウィンの古典熱力学的呪文にかけられて人は、みんな金縛りに遭っている。そして、だからこそ、グローバルに考えることもできず、呪文を信じて利己主義がはびこる。儲かって、肥え太るのは世界権力構造だけ、連中は合法的に豚みたいに肥え太っていく。もう一度、自分たちの惑星を見直してみよう。そうすれば、欠乏なんてでっち上げのまやかしに過ぎないことが分かるはずだ。資源は充分にある。
再生利用して無駄を省けば、資源は充分にある。エネルギーも充分にある。焦って、危険なプルトニウムをまき散らす原子力発電なんかを進める必要はない。この惑星に降り注ぐエネルギー供給母船太陽からのエネルギーだけで充分なのだ。化石燃料は、太陽エネルギー利用機構というメイン・エンジンに点火する為のセルフ・スターターだった。我々は化石燃料を燃やして、より少ないものでより多くのことをなす技術を蓄積してきた。我々は化石燃料を燃やして、より少ないものでより多くのことをなす技術を蓄積してきた。今や、そのノウハウも十分に貯まっている。あとは発信するだけだ。そうすれば次の10年間で全人類が物質的、経済的に成功し、この地球を心からエンジョイできる世界を作ることが出来るだろう。
*1

何事でもそうだが、楽観的な部分、前向きな部分がないと人々が魅力を感じないのではないかと思う。
その意味では、このようなフラーの前向きなサステイナブル論は魅力的だ。

しかし、やはりそれでもフラーに関して指摘しなければならないのは、理論と実践の乖離についてだ。
フラーは地球を開放定常系として捉えていると書かれてはいる。
太陽のエネルギーを利用することを念頭に置いている点で、確かに地球は開放定常系であると捉えていると考えて良いだろう。

しかし、ダイマキシオンハウスを見ても明らかなようにいざ、実践となってみると、建築はどこに窓があるか分からないほどに閉鎖的であるし、ジオデシックドームも組まれたトラスは純粋なシングルラインを志向している。完成した球ほど閉鎖的なものはないだろう。
ダイマキシオンハウスを全世界に展開させてしまおうという視点からしてみても、地球を一つのモノとして捉えすぎている。

確かに地球を地表までとして考えてみれば、地表の内側とのやり取りはそう多いものではなく、閉鎖系であると言って良いだろう。
しかし、地表には草が生い茂り、海が横たわり、そして、それを覆う大気がある。変化に富んだ環境が形成されている。
これらは重力に引きつけられているが、こここそ地球が開放定常系であると議論していた由縁である。

と考えてみると、いよいよジオデシックドームやダイマキシオンハウスを初めとしたフラーの実践が閉鎖的なものに見えてくる。もし地球が開放定常系であることを議論の対象とし、それをよしとするのであれば、建築においても、その土地にあった建築の形があるというのがとてもしっくり来る。

ダイマキシオンハウスの場合は経済的に成立させる為には大量生産を行うしかなかったという現実的な側面があるし、1960年代という時代だからかもしれないが、それでもやはり、建築の理想像が閉鎖的なのだ。

これは、レイナー・バンハムのEnvironmental Bubbleについても同じ事が言える。
小玉祐一郎はEnvironmental Bubbleを第二世代と言っていた(*2)が、フラーの建築もまさに第二世代と言える。(第1世代は近代以前のヴァナキュラーな建築で第3世代はいわゆるパッシブな建築)
個人的には建築の理想は宇宙船なのか、それとも母親のお腹か、はたまた宇宙船ではなくて宇宙服ではないのかという議論もあるので、これについても続けて考えてみたいが、兎にも角にもフラーの論理はとても感動的であるが、実践には頭をひねる部分もあるという話だ。

*1 ちくま学芸文庫 宇宙船地球号操縦マニュアル 著 B・フラー 訳 芹沢高志 注釈部分より
*2 INAX出版 人間住宅 環境装置の未来形
[PR]
by machine1984 | 2009-08-09 19:40 | 建築
包括的に考える力。
僕のような技術系の研究室にいる人だと興味がある人が多いように思うのだけれども、最近初めてバックミンスター・フラーの「宇宙船地球号操縦マニュアル」をちゃんと読んでみた。

別にフラーだけがこの言葉を使っているわけではないけれども、やはり本のタイトルからして魅力的である。

我々人類は宇宙船の開発に取り組んでいるわけだけれども、しかし、宇宙規模の視点から見てみると、僕らは既に地球という宇宙船に乗っているのだ。
そして、その宇宙船地球号は自動車のようにバランスの取れたデザインがなされている。
しかし、一つだけ決定的に違うのは、「取扱説明書がない」ということ。
宇宙船地球号のアフォーダンスを我々は見つけていかなければならない。
その取扱説明書としてあるのが、この本であるというわけだ。


ところで、僕がもう一冊Richard RogersのCities for a small planetという本が物凄く包括的な視点から物事を捉えていて、とても好きなのだけれども、この名著ですら「宇宙船地球号操縦マニュアル」の一説から始まる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
宇宙船地球号へ乗り込んでそのポジションを定めるにあたって、まず認識しなければならないことは、すぐに使えて、明らかに必要である資源や、本当に不可欠な資源は、私たちがそのことに無知であったにもかかわらず、いままでは潤沢で、人々が立ちゆくためには十分であったことである。
その結果、私たちは浪費的で収奪的であり続け、いつのまにか資源が使い果たされる寸前のところまで到達してしまっている。
今まで人類の生存や発展が緩衝材に包み込まれてきた状況は卵の中に貯えられている液状の栄養分の中で育まれている状況に例えられる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ロジャースはRenzo Pianoと共同してポンピドーセンターのコンペに勝つ前にチーム4でNorman Fosterと組んでいたこと、Renzo Pianoの師匠が実はLouis Kahnで、Norman Fosterの師匠が実はこのフラーであることを考えると、なるほど、色々な関係が論理的に繋がれてくる。
ちなみに僕の理解だとLouis Kahnはかなり設備建築家。
中々面白い関係図だなとつくづく思う。

さて、「宇宙船地球号操縦マニュアル」という本は一言では
「シナジーという1+1=3というような力を上手く使いこなす為には、包括的な視点を持ち、その包括的な視点でアプローチをしていくことが重要である。」
ということを説いていると思う。

4D houseも持続可能な社会を実現する為には時間の概念を入れなければならないという話であり、ダイマキシオンハウスやジオデシックドームもより少ない材料でより多くのものをなす為の手法として考案されているものと言える。

少し話が横道にそれると、先日、藤森先生の通訳を小一時間する機会があったのだけれども、その時に「日本の建築家がサステイナブル建築と唱っているものの99%は自分の建築をオーソライズさせる為の方便だ。」という趣旨のことをおっしゃっていて、やっぱり過激だなぁとも思ったけれど、つまりは自分の建築がどの意味でサステイナブルなのかを定義して使いなさい。そして、そのときにはサステイナブルの定義を良く考えて決めなさい。ということではないかと思う。

"宇宙船地球号操縦マニュアル"の中でフラーは

富というのは、Metabolic, Metaphysical再生に関して、物質的に規定されたある時間と空間の解放レベルを維持するために、私たちがある数の人間のために具体的に準備できた未来の日数のことだ。 *1

と述べているが、まさにこれが包括的な視点から見たサステイナブルの定義という訳だ。
サステイナブルに通じそうな色々な観点はあるけれども、
省エネルギー建築、省CO2建築、環境の良い建築、環境に優しい建築
等は意外と一致しない。
地球は過去から受け継がれたものではなく、未来の子供たちからの借り物だという言葉があるけれども、まさにそういう意味で、このフラーの豊かさの定義というのはとても示唆的だ。

アメリカでグリーンニューディールが掲げられてやっと僕らも躍起になり、捉えようとしていることをフラーは40年も前に指摘している。
建築は専門分野の中では広い視点で物事を捉えることが多い分野のように思うけれども、それでも専門分野という畑にいると狭くなりがちな視点を、出来る限り包括的に持ち、その包括的な視点から導き出されるベンチマークに向かって、一歩一歩で良いから進んでいくことが重要だと思うし、実際、そういった「専門性がありながら全体感のある人間」が現代には求められているのだろう。

”Think global, Act local”

フラーは理論と実践が一致していないように思えるので、そこにこそ改善すべき点があると思うのだけれども(これはとても重要なので、いずれ議論)、フラーを暗に批判する意味でも重要なのは”Think Global, Act Local”であるように思う。


*1 ちくま学芸文庫 宇宙船地球号操縦マニュアル 著 B・フラー 訳 芹沢高志
[PR]
by machine1984 | 2009-08-09 18:16 | 建築
WBSの遙か先
ちょうどワールド・ビジネス・サテライトで今日、中古住宅の普及についての特集をやっていた。
住宅履歴情報の保存などが中古住宅普及に関しての重要なキーになる。
みたいなことをキャスターが言っていたけれども、研究段階から実現段階に至るまでにはやはり随分と時間がかかるものなのだなぁと実感している。

さて、ワールド・ビジネス・サテライトでは住宅履歴情報の保存がこれからの住宅の価値を決定する重要なファクターになると語られていましたが、実際には
超長期を考えたときに一つの住宅の関係者は多種多様に上るので、そういった多種多様な利害関係者がデータを相互に認識、書換が可能なようにデータを構造化すること、そして、専門知識を持たない一般の居住者に対してどのような形でサービスを提供することが必要になると思います。

というかなり、時代の先を行っている発言をしていますが、そんな先の時代の研究も実際にはもうかなり進んでいるんですね。

なぜなら、僕がちょうど週末締めでそれに関連する論文を提出したからです!
このまま提出すれば、修士論文で行けるんじゃないだろうかなどと思いつつ、秋卒業ではないので修論ではないです。
修論はもっと凄いの書きます。

というわけで、まだまだ先の話ではありますが、今日スケジュールがいつの間にか決まっているのを発見したので、告知しておきます。

7月31日11時頃より、建築会館ホールにて
「第25回 建築生産シンポジウム」でプレゼンします。
タイトルは「住宅履歴情報の構造化と管理手法に関する研究」です。

僕も勉強すること山積みですが・・・。
[PR]
by machine1984 | 2009-06-23 02:37 | 建築
永福町のシェアハウス Before After
先週末に完成した永福町のシェアハウスのBefore Afterです。
最後の写真のような賑わいの場面が作りたかったものなのだと分かりました。
幸せです。

Before
e0126140_1365654.jpg

e0126140_137338.jpg

e0126140_1371050.jpg

e0126140_142384.jpg

After
e0126140_137254.jpg

e0126140_1373514.jpg

e0126140_1374629.jpg

e0126140_138885.jpg

e0126140_1381758.jpg

e0126140_1382554.jpg

e0126140_1412546.jpg

e0126140_1384294.jpg

[PR]
by machine1984 | 2009-05-29 01:43 | 建築
告知:オープンハウス
この度、僕らが立ち上げました 株式会社 テーラード・デザイン研究所 の第一作目となる永福町のシェアハウスが完成いたしました。

一般的なリフォームの予算から考えると、かなりのローコストではありましたが、シェアハウスという特性から、人々が集まり、互いに刺激をしあいながら生活していく為の空間を用意できたのではないかと思います。

今週の日曜日にオープンハウスを行いますので、もしお時間がございましたら、ご意見・ご批評などを頂けましたら幸いです。

どうぞ宜しくお願いします。

e0126140_2165244.jpg

e0126140_159711.jpg

e0126140_201624.jpg


タイトル 永福町のシェアハウス
主要用途 シェアハウス
企画  有限会社 Come on Up
設計者 テーラード・デザイン研究所 担当/渡辺典文 澤秀俊
施工  有限会社 月造
面積  延床面積 約130㎡
[PR]
by machine1984 | 2009-05-23 01:59 | 建築



渡辺典文 / Norifumi Watanabe The University of Tokyo Graduate School of Engineer Architectural Department Master Course
by machine1984
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31